㈱トムコ発行の情報紙(1996年~2019年発行)に掲載されたつぶやきから抜粋して随時皆様にお届けします。
今回は1997年3月のコラムです。
わたしは23年間小学校の教師をした後、6年前に退職した。
よく人から尋ねられる。
ー安定した職業なのに、どうして辞めたんですか。どうしてもやりたい事があったの。よく奥さんが許したね。
女房にはほとんど相談しなかった。辞めるよ、の一言だったような気がする。しかし、私の生き方を信頼してくれているという自負はある。
どうしてもやりたいことがあって辞めたわけではない。今、主な仕事として児童文学を書いているが、石にかじりついてでも続けなければなんて思っていない。
ある友人がよく言っていた。自分の今していることが、自分の選んだことなんだよ、と。人はよく、食うためにこれをやっているんだとか、いやなのに引き受けてしまったよとか言うが、どう言い訳をしようと、それがあなたの選んでいる生き方なのだと。
教育という仕事は元々生産的であるのに、辞める前の私にとっては、身も心もすり減らす仕事となりつつあった。そうすると友人の言葉が大きくふくらんでくる。よし、積極的に自分の生き方を選んでみようという思いが満を持したのである。
辞めて家庭の主夫をしていると、今までひどかった肩凝り、頭痛がうそのようになくなった。お酒も美味く、ひどい二日酔いもない。一日中日向ぼっこをしながら本を読み、料理の本を見て、のんびり夕食を作っているのだから当然かもしれない。
半年もそうしていて、やっと何かをしようという気になった。考えてみれば、私にとって教育というものは、もう切れない存在となっている。ただ集団の中に居ることに疲れてしまっただけだ。やっぱり教育のことを考え続けたい。それが児童文学という形になった。
辞めて6年もすると、また違う海で泳ぐしがらみが出てくる。惰性に流され、自分の生き方を積極的に選択することを忘れてくる。そろそろへこの帯をしめ直し、残された短い人生を楽しまなくちゃと思っているこの頃である。
~岸本進一先生PROFILE~
神戸市北区在住の児童文学者。著書「ノックアウトのその後で」(理論社)にて1996年日本児童文芸家協会新人賞受賞。その他、「ひだまりいろのチョーク」(理論社) 「とうちゃんのオカリナ」(汐文社) 「はるになたらいく」(くもん出版)など、著書多数。
小学校教諭として23年間勤務。故灰谷健次郎氏と長年親交があり、太陽の子保育園の理事長も勤めた。
Radish STYLE編集部
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